主任司祭 大海 明敏(おおみあきとし)




 

ヨハネのたより

20181014日 発行〒4530837名古屋市中村区二瀬町27TEL(052)412-3456 FAX412-3457http://gotanjo.sakura.neojp/

 

「マリア様の心、ぞれは青空、私たちをつつむ広い青空」                    

 

主任司祭 大海明敏

 

今日も素晴らしい天気です。いつものようにわたしは教会の庭の花、そして庭のマリア像の所め花にも水をやっていますO秋の季節の青い空の下、今日もマリア像がとても綺麗に見えます。 さて、カトリック教会では、毎年10月をロザリオの月として、口ザリオの祈りを特に勧めています。マリア様に対するロザリオの起源は12世紀にまでさかのぼりますが、ロザリオの月の起源は19世紀、教皇レオ13世が定めたことに始まる、比較的新しい習慣です。 皆さんもご存じのように、ロザリオとは、ロザリオの祈りを捧げる際に、祈りの回数を確かめるために使う数珠のような道具のことです。従って、ロザリオの祈る心は私たち人問を思う心であるということです。私のために、ある皆さんのために、マリア様に祈るという行為には、その人への、その人々への願い、その私たちへの希望と信頼とが働いているのです。

 私もロザリオの祈りはよく祈ります。この祈りの形式がよいのであると信じています。言い換えれば、決まりきった祈りの言葉を繰り返すうちに、静かな温かい心が流れ込んできます。マリア様を思いながらでもこあるように。また祈りには決まりがあって決まりはないのです。決まりに従いつつ自由に祈ることができるのであるということです。

 ロザリオは愛の祈りと言われています。私たちはアヴェマリアと唱えてマリア様に愛を表明していますように心を込めて祈りましょう。

 

主日のミサ:午前9時(大聖堂)週日のミサ:午前7時(小聖堂)初金ミサ:午前10(小聖堂)レジオ・マリエ:毎週木曜日午前10(文化C講義室)※ミサの特別な意向をご依頼の方は、ミサが始まる前までに司祭にお申し出ください。※カトリック教会の教えを学びたい方は、随時対応します。お気軽にご相談ください。to_top五反城教会トップページへ戻る

 

 

カトリック五反城教会報 第294号ヨハネのたより

  2018年4月15日 発行〒4530837名古屋市中村区二瀬町27TEL(052)412-3456 FAX412-3457

 

主任司祭 大海 明敏

 

どんなことがあっても、神に感謝皆さん、ご復活おめでとうございます。復活のミサの中でたくさんの私たちが参加し、そして子供の初聖体、大人の洗礼式がありました。この恵みを頂いて、本当に主の復活の祝いの日です。教会で8人の大人の洗礼式が行われる・のは本当に久しぶりです。ある人は喜びの挨拶に「私たちが今日を迎えられる事が出来たのは神様のお恵みと、皆様のおかげです。これからは。責任でしっかり信仰を持って生きたいのです。難しい時代で、神に感謝し、永遠まで神の愛に生きたいのです・・・。」という言葉がありました。これは嬉しいことです。 一方では、私たちの共同体の中に大切な兄弟姉妹が何人かが病気で病院を入院していました。悲しいことです。兄弟姉妹の為に祈りましよう。 復活した主イエスは、私たちを中心としたこれまでの信仰の歩みを、神中心の歩みに変えなさいと求められています。即ち、主イエスとの出会いを自分の望む場所、時間の中で求めるのではなく、神が出会う、隣人が出会うと望んでおられる場所に求めなさいと諭すのです。福音に登場する弟子達は、イエスは墓にいるはずだと思って行ったのに見あたらず、自分達の当てが外れたので、途方に暮れたのです。 神を信じる事は、そのように、主イエスにおいて真実になった救いの事実を認めることです。私たちは信仰によって神を信じることが出来るのです。 どうして神様はこんなに弱い人間である一人ひとり私たちを大切にし、愛し、導いて下さるのでしょうか。本当に不思議です。「神は、その独り子を世に遣わし、その方によって私たちに、命を得させて下さいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(1ヨハネ4:9)と聖書の言葉があります。 主の復活は大きな喜びと期待を持って、私たちの悲しいことや喜びとに望みをかけておられます。主イエスの復活との親しさのうちに、自分の言葉や生き方を通してキリストの光を輝かせ、福音を伝える者となるように祈ってまいりましよう。                            

 

主日のミサ:午前9時(大聖堂)週日のミサ:午前7時(小聖堂)初金ミサ:午前10(小聖堂)レジオ・マリエ:毎週木曜日午前10(文化C講義室)※ミサの特別な意向をご依頼の方は、ミサが始まる前までに司祭にお申し出ください。※カトリック教会の教えを学びたい方は、随時対応します。お気軽にご相談ください。

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私がベトナムを離れたのは、年若い時のことです。初めて家族を残して旅をして、本当に不安で辛かったです。自分と自分の家族はこれからどうなるのか。一人で外国へ行くというのはよいことなのか。今、五反城教会に来ている若者たらと同じように、当時の私も将未の道を一所懸命に探していました。そして、日本に着き、故郷とは違う日常生活を体験し始めました。そんな時、シスターの紹介で大阪の生野教会で黙想会に参加しました。毎日の祈りの中で、必ず神様が私のこれからの道を導いてくれると信じて祈りました。 ある日、一人で大阪城公園に行きました。夏の暑さで一本の杉の木が死んでいるように見えました。この杉の木がいつ死んだのか誰も知らない。ただ、一枚残らず葉を落として枯れていたのです。私はこの杉の木を見て、私たちの人生と同じようだと思いました。故郷から離れ、家族から離れて、今、私たちの人生は夏の季節に枯れてしまった杉の木のようではないかと。未来が私たらから遠ざかるような思いでした。 将来の不安について考えていたら、ふと鳥の鳴き声が聞こえました。耳を傾けているうちに、その鳥の鳴き声が私の心の中に平和をもたらしました。その烏が何の鳥なのかは分りませんでした。 雨が止んだばかりだったので、公園の木々は濡れていて、鳥たちは枝に留まることができないようでした。 しかし、あの枯れた杉の木の陰では、鳥たちはじっくり休憩することができていました。そして、互いに鳴き声を交して喜びを分かち合っていると感じました。枯れた杉の木は、公園の中でもう何の意味もないと思われたのに、役立つことができたのです。鳥たちの為、そして私たち人間のためでもあったかもしれません。 この杉の木の姿が、私に向かって何かを伝えていたのでしょうか。枯れた木は疲れた鳥たちのために役立つことができた。だから、あなたも頑張りなさいと。帰る道で私の心はこの枯れた杉の木の姿によって慰められ、隣人への愛に溢れたのです。神様は私たちを本当に愛しているなと思い、また、これからイエス様のように宣教者になれるように、と思いました。 今、時々若者たらは私に向かって「神父様、どうすれば神様の声が聞こえますか」と質問します。私は勿論、若者たちが悩んでいることを理解しています。ただ、枯れた杉の姿、そして現在の私たち自身の姿を見て、全て神様に委ね、信頼して感謝するしかないと思っています。神に感謝。

 

主日のミサ:午前9時(大聖堂)週日のミサ:午前7時(小聖堂)初金ミサ:午前10時(小聖堂)レジオ・マリエ:毎週木曜日午前10時(文化C講義室)※ミサの特別な意向をご依頼の方は、ミサが始まる前までに司祭にお申し出<ださい。※カトリック教会の教えを学びたい方は、随時対応します。お気軽にご相談<ださい。

 

2017年9月24日 発行 ヨハネのたより抜粋

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皆さん、聖母の被昇天、おめでとうございます。 毎日、猛暑が続いていますが皆さまはお元気でお過ごしのことと思います。 今日もいつものように私は教会の庭の花、そして玄関のマリア像の所の花にも水をやっています。青い空のもと、今日もマリア像がとても綺麗に見えました。 カトリック五反城教会は、創立の時からこのマリア様を大切にしています。私たちはマリア様に取り次ぎを願い、共に信仰に導かれた私たちをみな、マリア様が見守ってくださっていると思います。 マリア様は神様と私たちをつなぐ懸け橋となって教会の玄関の左に立うています。日本のどの教会にも、必ずあるのが聖母マリアの像です。幼子イエスを抱いたマリア像であったり、そして私たちの教会には両手を広げた幼子イエスと共に綺麗な無原罪のマリア像であったりします。信じる私たちを見守るマリアは、私たちを神様へと導く方でもあり、一番親しい母です。被昇天のお祝いにあたり、昔、マリア様が神様の御ことばを信じたように、現在の私たちもすべての悩み、喜びを神様にゆだねたいのです。なぜなら、聖母マリアは私たち一人一人の御母でもあるからです。私たちは、今日、又、聖母マリアを信仰者の模範として、私たちの母として大切にしていくようにと、神様から呼びかけられていると思います。私たちはこうして聖母マリアに対する理解を深め、聖母マリアのとりなしを通して世界に本当の平和を願って参りたいのです。 今日は聖母の被昇天のお祝いであると共に私達が忘れる事の出米ないあの日、1945年8月15日に人類の残酷な戦争が終結した日でもあります。この歴史的な日が聖母マリアの祝日と重なっているのは不思議な事です。今年も、これからも全世界の平和を聖マリアと一緒に祝うことができますように祈りましょう。

 

主日のミサ:午前9時(大聖堂)週日のミサ:午前7時(小聖堂)初金ミサ:午前10時(小聖堂)レジオ・マリエ:毎週木曜日午前10時(文化C講義室)※ミサの特別な意向をご依頼の方は、ミサが始まる前までに司祭にお申し出ください。※カトリック教会の教えを学びたい方は、随時対応します。お気軽にご相談ください。

 

2017年8月6日 発行 ヨハネのたより抜粋

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今日も、猛暑が続いていますが皆様にはお元お過ごしのことと思います。 この暑さの中、教会の司祭館の窓側陰に立ち、近所の風鈴の音を聞いていると心に涼しい風が吹き抜けていくようで、おもわず口から「神様のお恵みだ」と言葉がでました。 皆様もご存じのように日曜日のミサ、五反城教会で沢山の私たちの集いがあり・ます。教会に初めていらした人、初めて出会った人、色々な立場の外国人が集まります。最初は自分の中にもっている恥ずかしさ、悩み、孤独というものがありましたが、しかし、ミサの後皆は心をオープンにしてお互いに楽しい会話が出来ました。そして美味しいコーヒを頂きました。言い換えれば、これはすべてを乗り越えて一つの輪になったということです。  「ひとつになろう、キリストのうちにみな、ひとつになろう」 ブドウの木に枝がつながっているように、つながっている事を感じる時、私達は楽しい幸せを感じると思います。なぜなら、つながりは神様からの愛なのです。 祈り時間、そして楽しい時間はあっという間に終わりました。また、未週のミサ、五反城教会で会いましょうねと約束し、皆自分の家に帰りました。神に感謝。 日々の生活の中で、また祈りをしながら、私たちは全ての人々の愛を通して神様に出会います。神様が私たちにお求めになる事、約束される事は実現すると信じ、そして母マリアと同じように神様を信じる人は、大きいにしろ小さいにしろ、いつも素晴らしい出来事を体験すると思います。 ちなみに、ミサ後、ホールで五反城教会の美味しいコーヒを準備しています。コーヒを飲みながら分から合うように皆さんを待っています。今週も皆様の見守りの中でますます美味しいコーヒになっています。本当に素晴らしい。 聖霊降臨の祝日を迎えた今日、いつも中心におられる神の導きを物差しにして生きる者となれるようにと、願いましょう。

 

2017年夏ヨハネのたよりより抜粋

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若い頃に、カトリック信者ではないある友人からこう聞かされました(ベトナムは共産主義の国)。「あなたは十字架の意味が分かりますか?昔のイスラエルやローマなどでは、十字架への傑刑は国家反逆罪、異教徒、奴隷とローマ帝国の公民権がない人への罰でした。これほど残忍で、苦しみと屈辱のしるしなのに、なぜあなたたちは十字架を尊敬しているのですか?」と。確かに、一般的な人にとっては、十字架が良いイメージではありません。しかし、イエス・キリストを信じている私たちにとって、十字架は特別な意味を持っています。イエス様が十字架上の死をとおして私たち罪人に神の恵みをくださっていることを私たちは知っていると思います。だから日常生活の中で、苦しいことや悲しいことに出会った時、十字架を見て感謝します。イエス様がいつも十字架上で手を広げて私たちを守っています。 どうして神様はこんなに弱い、小さい人間である私たちを大切にし、愛し、導いて下さるのでしょうか。答えるのは神様しかないです。 十字架について、以下の面白い話がわたしは以前からずっと好きです。ある人々が旅に土たとき、みんな一人ひとりが自分の十字架を背負っていました。誰もが十字架が長くて重いと感じました。途中で「こんな十字架は無理だ。」と思った人は、十字架を短く切りました。旅の終点に川があり、川の向こう側は天国です。しかし、橋がないので橋のかわりに皆は十字架を使うことになりました。ただ十字架を短くした人は、橋を渡って天国に入ることができませんでした。 私は五反城教会に来て3週間になりました。正直、まだ何も分かっていません。でも五反城教会の十字架が好きです。教会の全体が好きです。これから皆さんと、そして名古屋教区と共に歩んで行きたいと思います。神様の愛と恵みが私たちの上にありますように祈ります。 神様を心から愛し慕っていた私たちこそが味わう十字架の恵みで、私たちも同じような心でイエスの愛を感謝することが出来たら幸いと思います。

 

2017年5月 ヨハネのたより 抜粋

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