[カトリック五反城教会の沿革]

神言修道会が1959年創立した教会で創立から50年以上経過しています。

初代主任司祭はドイツ人のハインリッヒ・ホンナッケル神父。
現在の主任司祭は9代目となる大海明敏神父で、在籍信徒数は約800名です。


五反城教会は、多くの協力者、恩人の苦心、苦労、犠牲と祈りの上に、現在ある姿になっています。
このページでは、その沿革を紹介して、それらの方々への深い感謝の意を表したいと思います。


barack準備

1959
準備が始まり、仮設建物が建つ

(写真)葦の茂みと蛙の合唱に囲まれたこのバラックの中に、聖堂と司祭室と伝道所がありました。

1st_chapel創設

196241
Benedictio
 岩塚教会公式認可
19627
主任司祭が任命される

(写真)最初の聖堂と司祭館。現在は改造されて、当時の聖堂のあたりが主任司祭室となっています。
※このページをご覧になったからの情報では、中村教会と呼ばれた時期もあったらしいです。現在調査中です。

2nd_chapel大聖堂

1966417日 着工
19661215日 竣工
196755
Consecratio
 献堂式
聖堂面積: 1,048.41平方m2
#この頃、近隣の地名をとり、キリストの「ご誕生」にもつながる五反城(ごたんじょう)教会と改称

(写真)建設中の大聖堂。塔の部分の鉄筋が見えます。手前の川があるところは、現在グリーンベルトとなっています。

パイプオルガン

197835
大聖堂のオルガンの奉献
ドイツのケルンにあるウィリ・ペーター社製
19849
文化センターホールに記念オルガンの設置
199513
大聖堂オルガン、初めてのオーバーホール

(写真)大聖堂内で組み立て作業中のパイプオルガン。この写真では、まだパイプは一本も入っていません。


大聖堂建設に活用された献金箱です。貯金箱くらいの大きさで、現在も教会内にいくつか残っています。聖堂の完成予想レリーフの上下に書かれている文字は、上が「神の家を建てよう!」、下は「カトリック 岩塚教会 名古屋」です。
五反城教会の聖堂とパイプオルガンは、ホンナッケル神父とトナイク神父の母国ドイツをはじめとする外国からの援助なしにはできませんでした。しかし、こうした小さな、でも心のこもった献金があったことも忘れないようにしたいものですね。


その他の主なできごと

 

19714

ボーイスカウト名古屋67団が設立

198646

教会創立25周年記念ミサと祝賀会

198812

ホンナッケル師帰天(満82歳)

199473

トナイク師帰天(満86歳)

20036月〜8月

大聖堂の「平成の大修理」

20135

教会創立50周年記念ミサと祝賀会

  


歴代司祭のご紹介

期間

主任司祭名 (転出先)

助任司祭名 (転出先)

19617月〜

ハインリッヒ・ホンナッケル (故人)

ヨゼフ・トナイク (故人)

198010月〜

篠原 正 (刈谷教会へ)

ハインリッヒ・ホンナッケル (故人)
ヨゼフ・トナイク (故人)
坂本 進 (台湾へ)

19864月〜 

七種 照夫 (小神学院へ)

ヨゼフ・トナイク (故人)
川上 栄光 (恵方町教会へ)

19904月〜

フランシス・ブレシ (ヨハネ館へ)

ヨゼフ・トナイク (故人)
山口 次雄 (半田教会へ)

19934月〜

上村 勉 (海外研修へ)

ヨゼフ・トナイク (故人)
川上 栄光 (恵方町教会へ)
フィリップ・マチュウ (南山教会へ)
ナジ・エデルベルト (多治見教会へ)

19994月〜

及川 正 (多治見修道院へ)

ホァン・ミン・マン (神戸・鷹取教へ)
伴 八郎 (安城教会へ)

20044月〜

七種 照夫

川上 栄光(南山教会へ)
新立 大輔

20144月〜

Fr-sintate.jpg新立 大輔(南山教会へ)

七種 照夫(2017年5月23日帰天)

 

20174月〜

 

大海 明敏 (ホァン・ミン・マン改め)(平針教会へ)

 

2023年4月〜

  アドリアヌス・レインゲレ・ハヨン

(通称アルディ)

 


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